愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

男女平等という弊害

昨今は男女平等と唱われ久しい。
女性の地位が不平等であって、女性も平等に扱うべきだ!ということで、男女平等ということになってきました。
一見、素晴らしい動きに思えます。
そうだそうだ、女だからって差別するな!
平等に扱って!
と、女性は権利を主張するようになり、
大学にも進学できるようになり、社会進出もできるようになりました。
そして、女性は言います。
昔はひどかったけど、最近は男女平等になってよかったわ。と。

本当にそうですか?
女性は差別されていたのでしょうか?
女性は男女平等の思想によって幸せになったのでしょうか?

私はそうは思いません。
男女平等というのは、妄想です。
男女が平等である必要がない。
だって、男女は違うから。
どっちが上とか下とか、どっちがえらいとかではありません。
男女は違い、それぞれに役割がある。活躍できる分野があるんです。
もちろん、すべての男がこう、すべての女がこう、ということはありません。この中に個性があるからです。
男の中にも個性があり、女の中にも個性がある。
でも男女が平等である必要はない。
男女はそれぞれの違いを尊重し、お互い得意な分野で活躍するのがいいのです。
それが男女平等になったとたん、
男女は同じフィールドで戦うライバルのようになってしまいました。
本来男女はお互いに補いあって最高のパフォーマンスを生み出すパートナーなのです。
男だからこれが得意。だけどこれはできないから女性の協力を求めよう。
女だからこれが得意。だけどこれは苦手だから男性の力を借りよう。
そうやって、男女は支えあって生きていくべきです。
その一大プロジェクトが子育てなのです。

なのに、男女平等だから
なぜ私だけがこれをやらなきゃいけないの!夫にもやってほしい!
なぜ自分だけが働かなきゃいけないのだ!妻にも働いてほしい!
こんな不満で世間は溢れかえっています。

私はこれを男女平等の弊害だと思っています。
男女平等だから、男も女も自分に向かないことも平等にやらなければならない。そして向かないので苦戦しストレスもたまり、ライバルである異性に敵意をもつことになってしまうのです。

女性の社会進出は進み、
子育てはあとに追いやられ晩婚化、
さらに出産しても社会から離れられずワンオペ育児。
そのたいへんさを男性にも平等に背負ってもらおうとイクメン化。
男性はそもそも向いてないことを押し付けられ、男性としても社会でも役割も奪われ、どんどん弱体化。
女性は強く、男性は弱くなっていき、子どもは生まれなくなってきています。
これが男女平等が生み出した世界。
女性は昔より幸せになったといえるでしょうか?

縄文時代まで遡れば、
男は外で狩りにでて女は集落で子育てをする。
それが当たり前でした。
そこにはなにも差別などなく、男と女の役割が違うのは当たり前の世界でした。
この時代に男女平等にしたら、
女は狩りにいかないといけないし、男も集落で子育てをしないといけなくなります。
腕っぷしの弱い女性にどれだけの狩りができ、
おっぱいのない男性にどれだけ子育てができるでしょうか。
それぞれが支えあって生きているのです。
それが自然です。
だから、男女平等というのは、文明が作り出した妄想なのです。

だったら女は家にいればいいの!?
そんなの嫌だ!という女性の声が聞こえてきます。
女性だからって家にいる必要はないです。
個性を大事にしましょう。
今の社会は女性も社会的地位が求められる時代なので、社会的地位が欲しい人もいるでしょう。
でも男女平等が唱われている昨今、ほんとは一番したいことがあるのに、していない、できない、という状況でそうなっているのかもしれない。と頭においてもらいたいのです。

男女は戦う相手ではない。勝ち負けでもない。
そもそも特徴が違う。
そんな違いをお互いに尊重し、弱い部分を補いあい
協力するパートナーだということを。
もう一度みんなに思い出してほしいです。