愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

悪を罰したいという罠

最近の情報の海のトレンドは、悪事の暴露です。
世界中で悪事が暴かれたり、暴露されたり、開示されています。
それを見た多くの市民が、愕然となり、
信じたくないという心境になり、
悲痛で苦しくなったり、
疑心暗鬼になっています。

そしてそこで生まれた様々な感情、怒り、悲しみ、驚き、などが1つの結論に行きつきます。
罪を償わせたい!ゆるせない!返してほしい!

その感情は一種の「恨み」です。
私は恨みをもっては、自分軸になれないというブログを以前に書きました。
恨みというのは他人軸に閉じ込める檻のようなものです。
現在この檻にどんどんつかまっている人が続出していると感じます。
だからといって、簡単に許せるほどの悪事ではないかもしれません。
でも、この感情はもっているべきではありません。
恨みはもっていても、なにもならないからです。

悪の勢力の参った顔が見たい!
処刑をのぞむ!
ギャフンと言わせたい!

そんな感情には意味はありません。むしろ罠です。
もし悪の勢力がいたとしても、これからの世界に存在することはできないでしょう。
自分軸の人が増えれば手も足もでないのです。
彼らがやっつけられるところを、待ちながら生きる必要はないのです。
私たちは目の前の楽しいことに注視して没頭していて大丈夫です。楽しい雰囲気をまとって生きていけばいいのです。
それが世界にとっても重要なことです。
この世紀末のような情勢の中で、楽しい雰囲気を伝播できる人は貴重な存在です。

もし悪の顛末が気になったとしても、それは淡々とした感情が必要です。
「あぁ、そうなったか、わかってたよ。それとは関係なく、私は私の道を行かせてもらうね。」と。

あまりにも、罠にかかっている人が、覚醒している人の中で多いと感じ書きました。
私自身にも言い聞かせる意味もあります。
自分軸を保つのは大切です。