愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

嘘が次々と暴かれる

2年ほど前のブログに、嘘がない世界になる、みたいなテーマを書きました。

これからは嘘がバレる時代になりますよ、と。

直感的にそう感じたからです。

事実自分でも、周りの人の嘘がなぜかわかるようになっていましたし、

自分も嘘をつけなくなっていたのがそう思ったきっかけです。

なるほど、空間に漏れだしているんだ。

嘘をついたことを自分だけは必ず知っているから、それが空間にもれだしてしまうのかもしれないと思っていました。

そもそも自分軸になってからは、自分に嘘は絶対につけないのです。

 

あれから2年がたって、今この世界を見渡してみると、驚くほど嘘が暴かれる時代になっています。

ニュースの世界では、不倫や浮気はもちろん、政治家の裏金問題、巨額窃盗や詐欺、政治家の学歴詐称、大手芸能事務所や有名人の性加害問題。

今までなら絶対に誤魔化せていたであろうことが、次々と白日のもとに晒されてきております。

それもすごいスピードとすごい量。そして嘘もビッグ!!

いやいやまさかそんなに嘘は蔓延っていないだろうと、少しの嘘なら誰でもあるけれど、そんな大きな嘘が堂々とつけるわけがないというような大嘘が、じつは今までの世界に堂々とつかれていたなんて!と人々も驚愕している事態になっています。

まだまだ半信半疑、嘘なわけないよ信じてあげようよという人もたくさんいます。

 

もともと予想してたとはいえ、こんなに急激に世界の嘘が暴かれはじめるなんて私も驚いています。

これからつく嘘はバレるとは思っていましたが、今までついていた嘘も暴かれるなんて。

でも世界はそのようになっています。

嘘がわかってしまう人が急激に増えているためでしょう。なぜ、騙されていたのかそれさえも不思議に感じるくらいにつかれた嘘が嘘だと手にとるようにわかるようになるのです。

 

さぁ、どうしますか?

これからも嘘をついて生きますか?

もうできませんよ。空間がそれを許さないからです。

正直に生きてることに価値がでます。

それはとても簡単なことなはずです。

 

そして、これも重要なことなのですが、

私たちは騙されていたことを気づいたときに、忘れてはいけない大切にしたい力があります。

このことについては以前にブログでも書きました。

それは「ゆるす力」です。

嘘に対して恨みや攻撃で返したら、負のスパイラルに陥ってあなたは永遠に前にすすめないのですよ。

 

さぁ、どんどん世界は進んでいきます!

正直に!

自分軸で!

愛をもって生きよう!

 

多次元思考をもつ

最近自分軸に目覚めている人たちの間に多次元的思考ができる人が増えたように思います。

次元というと少し理系的で、物理数学が苦手だったという人には少し難しく感じるかもしれません。

そんなことはよくわからなくても、感覚的に多次元を捉えている人がほとんどなのですが、

今日はあえて言語化してみたいと思います。

 

まず、次元というと私たちは三次元の空間の住人です。

一次元が点の状態。

二次元は線の状態。

三次元は縦横奥行きのある箱のような奥行きのある空間です。

三次元の中の物質は奥行きがある立体的というだけで変化はしません。

その物質がその空間の中で変化するとき、時間が発生しているように見えます。

その変化が時間であり、そしてその空間を四次元といいます。

私たちは日々変化していますので、四次元で暮らしているということになります。

でも、それは三次元の空間の連続体が四次元であるので物質自体は常に三次元にいることになります。

四次元にいるのは私たちの魂なのです。

体は常に三次元にいます。

ここがわかりにくいところなのです。

体は三次元、魂は四次元。

四次元からみると、三次元の物質が変化している様子がわかります。だから私たちは時間を感じるのですね。

時間が私たちと関係ないところで流れているのでありません。

私たちが四次元からその変化を観察するとき、時間が流れているようにみえるだけなのですね。

パラパラ漫画のような感じでしょうか。

だから時間は遅く感じたり早く感じたりします。

時間は一定ではないのです。

私たちは魂だけは時間を遡ることも未来を見にいくこともできます。

しょっちゅうやってるはずです。

過去のことでクヨクヨしたり、未来の心配をしたり。

でも実際に体は常に今という三次元に生きているのです。

このように、体と魂が別々の次元で生きてしまっていることがよくあります。

上の空といったり、鬱状態、睡眠中もそうかもしれません。

だから、三次元の体と四次元の魂を今に集合させることがとても重要になります。現在それを瞑想といったり、中今といったり、ゾーンといったりします。

なぜそれが必要かというと、五次元にいくためなのです。

 

五次元というのは、三次元空間の変化した四次元の世界がたくさんある状態のことです。

つまりマルチバースといったり、パラレルワールドといったりします。

三次元の空間の変化というのは決まって一種類というわけではなく、無限に存在するのです。

四次元に生きている場合は、他の四次元空間を感じることも知ることもできませんが、魂が五次元にいればどの四次元空間にもいくことができます。

つまりこれがいわゆる引き寄せとかいう能力や、自分が創造主であるという考え方につながります。

四次元に生きていた魂が、五次元の世界にあがることで、自分が望む世界線にうつることができるということ、なのです。

どの四次元世界にも三次元の自分の体は存在します。三次元空間も無限に存在するのです。

つまりこれが、多次元思考なのです。

四次元の思考が五次元思考に拡大することで、自分の望む世界線に意識ごとぶということです。

ちなみにとんだらもどってこれないとかではありません。意識の拡大ですから、いつでもどの世界線にもいけます。

五次元だとどれか一つの世界線に注目することになると思いますが、六次元になると他の世界線も同時に体験できるような感覚になるのかなと思っています。

この多次元思考になるには、まず思考を今に集合させ、自分の意識に集中させる必要があり、それには自分軸が必要になるのだと思っています。

そして三次元の空間に執着してしまうとなかなか多次元思考が難しいので、まず四次元の魂から五次元に飛ばないといけないのではないかと思います。

他人軸思考というのが三次元に執着している状態となり、これは自分を空間の中で分離したものと捉えている状態を示します。これだと五次元に思考を広げるのは難しいでしょう。

 

だから、自分軸に目覚めた人が多次元思考をもっている人が多いのですね。

 

言語化が難しい多次元思考。

頑張って言語化してみました!

 

私たちは世界を選べる存在であり、自由で素晴らしい存在なのです。

多次元的に生きよう!

人権の目覚め元年

年始からさまざまなニュースが世間を驚かせています。

そんな中、私は人々の中の人権感覚の目覚めを感じています。

災害時の日本人の誠実さは、東日本大震災のときから世界を驚かせていますが、改めて能登半島地震のときも日本人の支えあって生きようとする姿に感銘をうけます。

離れていても、私にできることはないだろうか?と多くの人が思っています。

改めて日本人の心のつながりを感じる事柄であると感じています。

日航機事故のときも、落ち着いた乗客に注目が集まりました。我先にと押し合うこともなく、自ら譲ったり助けたりする姿があったとか。

生死が関わる場面でも、人のことを思えるというのは日本人の性なのでしょうか。

それが当たり前のようにできてしまうことに、世界中も驚き奇跡とよんだのです。

そして、芸能界の闇が次々と暴かれ、今までは当たり前のように芸能界や支配者層界で蔓延っていた慣例が突如批判の対象となっていってるのです。

これは女性だけでなく、人々の人権に対する目覚めだと感じます。

権力のある者に言いなりのように従っていた慣習が、我慢して蓋をしていたものが、表にさらされはじめています。市民は、一人一人の人権の大切さ気づきはじめています。

自分を大切にすること、人を大切にすることが当たり前だということにやっと気づいてきたのです。

支配者の言いなりにならなくていい。

自分を大切にしていい。

目を瞑らなくていい。

 

日本人の本来の性が急速に目覚めはじめているのです。

このうねり、この目覚めはもう誰もとめることはできないでしょう。

なぜなら、それが本来の私たちだから。

 

依存的精神から抜け出そう

私たちは誰かやなにかやお金に依存するように仕組まれた社会で生活しています。

依存先は

親であり、

恋人であり、

宗教であり、

お金であり、

学歴であり、

推し活であります。

自分には、なにもないと疑わず信じてるからこそ、これだけの他力に依存するようになるのです。

生まれたままの自分、

ありのままの自分には、

なんにもない。どうしようもない。なにもできないと思わされているのです。

誰かからの評価や称賛、崇拝するなにかがないと、自分に価値が見いだせない。

そんな状態に陥っているのです。

なぜなら、親ガチャとも言われるように、自分の人生は生まれたときから始まったと思っているので、生まれたときになにももっていないし、人生は不平等で理不尽だと信じているからです。

 

まずその感覚をとらえなおす必要があります。

赤ちゃんを見ればわかりますが、生まれたときにすでにすごいパワーをもっています。

弱々しくなにももっていない状態とは思えないと思います。一目瞭然です。

もちろん身体的には自立してない未熟な状態ですが、すでに魂のはっきりした意思を感じるのです。

その魂の意思はいったいいつからもっていたのか?

生まれる前の10か月とは到底思えない強くてパワフルな意思です。

どの赤ちゃんも、必ずそのパワーをもって生まれているのです。

私たちが、自分にはなにもない、なにもできないと思っているのは思い込みであるとはっきり気づく必要があります。

自分の意思で、自分の力で、この世に生まれてきたという確固たる証拠があなた自身です。

 

誰にもなににも依存する必要はなく、

自分の意思をはっきりと発揮して人生を歩んでいけばいいのです。

誰もがその力があるのですから。

 

誰かに評価される必要はなく、

自分が一番の自分の応援者であり、支持者であることが大切です。

 

依存した人生は、依存先によってグラグラしてしまいますが、依存せず精神的に自立した人生はぶれることなくしっかりと立つことができます。

 

まずは自分の意思によるパワーを信じること。

これが自分軸の要であるのです。

競争社会は簡単に終われる

この社会は競争社会です。

誰かに勝つことが求められ、比べられ、評価され、ピラミッドのように上を目指させられ。

負けないように、

スポーツを

勉強を

芸術を

やらされているのです。

勝たないといけないと思ってやっています。

そう、私たちは競わされている。

競うのは前にも書きましたが、本気を引き出すためにいい面もあります。

つまり、競うことのメリットは過程にあり、勝敗の結果ではないのです。

負けたら意味がないなんてことはないのです。

本気をだす過程にこそ意味があります。

 

私たちは子どものときからあらゆることを競わされているため、競うことが普通だと思い込んでいます。そのように社会が仕組まれているからです。

でも、私たちが競うことをやめたら?

誰も私たちをまた競わすことはできないのです。

私たちはお互いを敵視して、勝敗を決める必要はなく、平和に助け合って生きていいのです。

競うことをやめれば、この競争社会はすぐに終わってしまいます。

世界は本当は、競うのが当たり前の世界ではありません。私たちは、わざわざ競わされています。

勝ちがいいことと思い込まされています。

勝敗がなくとも、力をだしきることができるのであれば勝敗は必要ないのです。

 

どんなときに、勝敗がなくても人は力を出しきれるでしょうか?

それは、人のためになにかをやるときです。

誰かのために動くとき本気の力をだせるものなのです。

だから、私たちは本当は競わなくても本気をだせるのです。人のために。

まさに助け合って生きていけば、本気もだせるし平和なのです。

次世代は競うのをやめる人がどんどん増えるでしょう。そうすれば、競う社会が終わりをつげます。競うことに意味がなくなるからです。そして、誰かが競わそうとしても、もう私たちを競わすことはできません。

もちろん戦争なんて起こせるわけがありません。

真の平和が訪れます。

世界はそのように今向かっています。

まず競うことをしている人は考えてみてください。

その競争、必要でしょうか?

平和こそ、みんなの心からの願いではないでしょうか。今から、その未来へ向かいましょう。

夢中で楽しめば、誰かを幸せにできる

誰かの役にたちたい。

人助けをしたい。

生きる意味をもちたい。

 

そう思うなら、あなたが楽しいことを夢中で楽しめばいい。

あなたが楽しいことは、誰にも響かないことでも、なんの役にたたないことでもいいのです。

心から楽しむことができるなら、それを夢中で楽しんで。

そうすると、あなたの楽しい波動が、誰かを幸せにすることができます。

周りに誰もいなくても、

わざわざ誰かに見せる必要もない。

あなたがルンルン、ウキウキ楽しむだけでいいのです。

オタクでいいです!

凝ったことでも、変わったことでもいい。

下手でも上手でも、負けててもいい。

とにかく楽しむだけでいいのです。

 

そんなのって信じられませんよね?

自分が勝手に楽しんでいるだけで、誰かを幸せにできるだなんて。

黙々と楽しむことにはそれくらい、パワーがあるのです。

誰かに評価されたり、表彰されたりする必要はありません。

自分が楽しければそれでいいのです。

人がなにかに夢中になっている波動は、人へ電波します。ウキウキが世界に広がります。

あなたの笑顔が、世界の笑顔になります。

これは理屈じゃなく、本当に世界はそのようにつながっているのです。

だから、自分の声にしたがって、やりたいことを思い切りやって心から楽しんでください!

それが世界平和につながるのです。

人類どこに向かおうとしてるのか

最近よく疑問に思っていることがあって。

人類は生物的にも、科学技術的にも進化しているはずなのに、どうにも腑に落ちないのです。

以下のことが。

・世の中的に不妊が増えている。

・生まれる子どもの中で発達障害といわれる「生きにくい子ども」が増えている。

・恋愛に興味ない、またはLGBTが増えている。

・2人に1人が癌になる時代

・インフルエンザの急増

 

私たち人類は、自ら滅びようとしているのでしょうか?

なかなか生まれない子ども、

生まれても生きにくい特性をもち、

または生殖に発展しにくい性的動向をもち、

病気になりやすく、

感染しやすい。

 

どうして、こうなりました?

人類のDNAからすすんで、このようにはならないはずです。

生存本能があるはずなのに、その逆をいくような進化をたどっている私たち。

どうしてこうなっているのか、原因をそろそろ考えるときにきているのではないでしょうか。

生まれてきた子どもたち、もってる特性は受け入れ多様化を許容する社会を作るのはいいのですが、

なぜこうなっているのかを見落としてはいけないと思います。

この社会のなにかが、

私たちの生存本能に反して、

人類を削減する方向に動いてしまっていることをはっきりと感じる必要があります。

まず、気づくこと。

それからなにが原因か考えること。

対処療法ではなく、原因を探ることをしないと、いつまでたっても事態はよくならないのです。

私たちの子どもたちが、

生みたいときに子どもを生んで、

その子どもたちが生きやすく、

健康に生を全うできるような世界を望むなら、

今なにかを変えないといけないのでしょう。

 

それは立ち止まって考えることです。

周りを冷静に見渡してみることです。

大きな流れから、一歩離れてよく観察することです。

情報は自分の力で集めることです。

 

今自分軸で世界をみることが、次世代の人類にとっても重要なことだと感じています。