愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

〈男子へ〉トランクスかふんどし推奨!

私の夫は昔からトランクス派なのです。

最近はボクサーパンツ派が圧倒的に多いのではないでしょうか?

なので、トランクスを買いたいと思ってもなかなか売っていないのです。

世の中の男性はそんなにボクサーパンツを履いているのかな?と思います。

うちは子どもが娘なので、年頃の男の子の動向がよくわからないのですが、なんとなくボクサーパンツが多い気がします。

私が子どもの頃はブリーフ派も結構いて、思春期からトランクスになってきて、高校ぐらいのときはそのトランクスを見せながら歩くという半パンスタイルが流行でした。

よく考えるとと変わったファッションですよね。

半分パンツを見せて歩くなんて。

女の子もヘソ出し、ルーズソックス、顔黒時代ですから、ファッションは飛び抜けてこそ目立てて意味があった時代でしたが。

よってその時代はトランクスが主流だったように思います。

 

その後いつからか、ボクサーパンツが主流になってきたのです。

夫いわく、ボクサーパンツは当時スポーツをするときに履くくらいの存在だったそうです。

スポーツするときは、ブラブラと睾丸がゆれずにまとまっているほうがよかったのでしょう。

それを日常的にもブラブラするのが気持ち悪いと感じる人が増えたのか、ファッション的に流行しているのかはわかりません。

とにかくトランクスが手に入りにくいのです。

売り場はボクサーパンツだらけ。

 

しかしなぜ睾丸がそもそも体の外にでてぶらさがっているかを考えたことはありますか?

女性の子宮は体の奥に大切に守られています。

なぜ睾丸は体の外に、しかも不安定にブラブラとぶらさがっているのか?

それは冷やすためなのです。

精子は暑いと弱まってしまうため、体の温度より冷ます必要があります。

なので体の外にでているのです。

暑いときはびよーんとのびて、寒いときはきゅっと縮まり体に近づく。

常に生殖にとっていい温度を保っているのです。なんて体は神秘的なのでしょう。

だから、男性の股関はあたためてはいけないのです。風通しのいいところで、常に冷やせるようにしておくことが大切です。

それをできるのが、トランクスやふんどしというわけです。

最近のボクサーパンツでは風通しがよくないのではないでしょうか?

暑くなりすぎてませんか?

 

最近は男性不妊も増えているとききます。

ボクサーパンツ、どうなのかなぁ?と少し心配なのです。

風通しよく保つため、ふんどしか、せめて大きめのトランクスを履くことを男性に推奨したいと思います。

〈自分軸〉見えなかったものが見えてくる

私たちは目で見た世界を解釈し、その世界で生きています。

目が見えれば、すべての世界をとらえられていると思っている人もいますが、

もちろんそれは大間違い。

私たち人間の目で見える範囲というのは、もちろん限界があるわけです。

目にはとらえられない光や波動も世界にはたくさん存在します。

また目に物理的に見えていても、解釈はその人それぞれ。つまり目で見えているものを、なにかを判断している主観が入っているのです。

その主観が、私たちは他人軸の洗脳によって大きく先導されています。なので世界を見るとき、それは誰かの洗脳によって得た解釈を経てとらえていることがほとんどなのです。

自分軸に目覚めると、見える物理的な世界はなにも変わらないのですが解釈が変わってくるので見える世界が変わってきます。

今まで不思議に思わなかった景色が不思議に感じたり、違和感を感じたり、作られた恐怖心から解放されたりします。

確かに同じ景色を見たことがあるのに、そのときには気がつかなかった違和感や、幸福感やパワーを感じることもあります。

「なぜ、こんなことに気がつかなかったのだろう?」

考えてみれば当然考えそうなことを

今まで考えなかったと気づいて不思議に思うのです。

 

まさに、同じ世界で生きていても生まれ変わったような感じで

今まで見逃してきた世界を、しっかり見たいという気持ちがでてきます。

 

思ったより最悪だということもあるし、

思ってたより素晴らしいということもある。

まさに世界のとらえ直しをしている感じです。

 

これがまさに世界は思考が作ると言われる所以なのでしょう。

他人軸のときと見える世界が全然違うのですから。

 

新しく世界を見るときには、直感を使うことが大切です。

誰かの解釈で判断していないか。

心地よいと感じるか、不快と感じるか、常識を当てはめて見ていないか、広い視野・思考でとらえられているか。

まさにそれが大切なのです。

新しく世界を見てみて。まっさらな自分の頭で。

ありのままをとらえてみよう!

今まで見えてなかったものが見えるはずです。

夏休み、総括。

主婦にとっては三食作りや、部屋のエンドレス片付けなど苦行ともいえる夏休みですが、

子どもにとっては普段できない体験や経験ができるチャンスであり、これ以上ない自由な時間であり、伸び伸びと過ごせる最高な期間です。

私もそんなに家事をガシガシやらず、子どもと一緒にのんびりと、また旅行などの伸び伸びな時間を過ごすことができました。

当たり前のことがありがたいと感じるようになった今、手袋&マスクなしのビュッフェや細かい注意書のない観光スポットにありがたい!としみじみ思いながら過ごすことができました。

何年かぶりに帰省した方や、久々の観光スポットを楽しまれた方も多いのではないでしょうか。

1年か2年前はどこに行ったのかも、大々的には言えず、お土産も買わずにひっそりと出掛けたものですが、大手をふって出掛けられて、子どもがお友達にお土産を買ったりできるのも、当たり前ではないと感じて嬉しい気持ちになっています。

観光地も大混雑、道は大渋滞ですが、みんなが家からでてきて楽しんでるんだと思うと、それさえも嬉しい気持ちになります。

予想通り、マスク人口は急激に減り、むしろ熱中症のほうが心配されるくらいでした。

たまに台風がきたりしましたが、概ね晴れで夏らしい夏休みでしたね!

 

夏休みの最後になると、学校に行きたくない子どもたちへ注意喚起のニュースが増えます。

行きたくないのはその子になんの責任もないのです。

行きたい内容、人間関係ではないのですから、それを無理に強制させる必要はありません。

学校が自由で楽しく、個性尊重される場であれば行きたい子どもも増えるでしょう。

今はとても画一的、統一的な教育となっているので、合わない子どもがいても当然なのです。

朝が強い子弱い子、集団が好きな子嫌いな子、勉強や運動が得意な子苦手な子、さまざまな子どもがいて当然なのです。

どうしたらその子が目をキラキラさせて楽しめるのか、100人100通りの教育現場が必要です。

それには、先生が導く先導型では無理があり、子どものやりたいこと得意なことを伸ばすサポート型に教育を切り替える必要があるでしょう。

今の子どもはやりたくないことを、我慢してやらされすぎです。どの子も同じような人間として教育するような誘導をされています。

子どもたちは「やりたくない!」と心で叫んでいるのです。コロナもあり、自由が尊重されるムードも増えてきて不登校が増えているのでしょう。

いろいろな個性に社会全体で理解を示し、思いやりや礼儀だけは教えてあげれば、

個人の興味・能力をもっと尊重してサポートに徹するべきだと思います。

教師の心の病や、労働過多も問題となっている昨今。

学校や教育のあり方自体を根本的に考え直すところにきています。

子どもたちが喜んで行く学校なら、夏休みの最後にこんなニュースばかりにはならないはずです。

夏休み楽しかった!

さぁ、学校でも楽しもう!

ってなりたいですよね。

 

今はまだ変革途中なのです。

どのくらいで変わるかなー。

変わらなきゃならないことは、もう国民もわかってきているはずです。

世界から注目を集める日本

夏休みになり、どこの観光地も大にぎわいを見せています。

コロナ禍からでかけていた私たち家族は、どこもかしもも大混雑の賑わいをほほえましく思いつつも、ガラガラだったあの頃を懐かしく思いながら今年の夏休みを過ごしています。

コロナ禍中と大きく違うのが、外国人の多さですね。

全くいなかった外国人の多いこと!どこに行っても外国人だらけです。

水際対策がなくなり、入国しやすくなったとはいえ、コロナ前にもこんなにいましたっけ?

東京オリンピックも無観客でやったのに、日本の観光地人気はどのように火がついたんでしょう?

そんなに英語も通じない文化も宗教も違う国に、みんななにしにきてるのでしょう?

しかも、1つの国ではありません。

世界中から来ているのです。

円安ももちろん理由でしょう。

 

しかし、それにしても日本、注目されてますね。

この前のWBCが盛り上がったのも記憶に新しいですが、今までどうにも難しかったアーティストの世界デビューも最近よくきくようになりました。

日本は世界の端で、ガラバゴス的に発展していて、最先端の西洋に対して遅れた国だったのでは?

キリスト教の国の人がなぜわざわざ京都のお寺を見にくるのでしょう?

世界に日本のアニメが轟いているのはなぜ?

 

それは日本が世界から注目されているからです。

日本はなにか違う。

遅れていると思ってたけど、とんでもない。

唯一無二の最先端かもしれないと、世界中が思いはじめているのです。

好奇心にかられ、知りたくなってしまったのです。

日本の謎が、生活が、文化が、すべて興味の的なんです。

そして知れば知るほど感動や好奇心の沼に陥ってしまいます。

日本より世界の人が先に気付きだしているのです。

 

日本の力はまだ隠されています。

まだまだこんなもんじゃありませんよ。

市民が目覚めたとき、その本髄が発揮されるでしょう。

そろそろ目覚めの時間ですね。

自分軸で、あがり症治る。

私があがり症だと気づいたのは思春期の頃です。

人前でなにかを発表したり、発言をして注目を集めたりするときに、あがり症が発症してしまうのです。

発表前にドキドキと動悸がしはじめ、人前にたつと赤面現象、声が震え、息がしずらくなります。

多かれ少なかれ経験がある人もいるとは思いますが、私は人生を送る上でこの症状にとても悩まされていました。

なぜなら、キャラじゃないからです。

私はおしゃべりで、人前が大好き、目立つことも嫌いじゃなく、普通にしていても目立ってしまうような明るい性格でした。

発表も好きだし、発表内容にも自信はある。

しゃべりも自信がありました。

なのに、人前に立つと私の意に反して、ほぼ自動的にあがり症を発症してしまうのです。

キャラ的にそういう場面をまかされることも多く、周囲も安心してまかしてきます。

まさか私があがり症なんて露とも思わずに、、、。

だからこそ、余計につらかったのです。どうしても治したいと思いました。

しかし、発表内容を練習してもだめ、人に目線を向けなくてもだめ、人を野菜だって思い込もうとしても無理だし、手に人をかいてもだめ。

特にスピーチ的な発表がダメで、たぶん一人で人前に立つのがだめだったのだと思います。

大人になれば治るだろうと思っていましたが、社会人になってもそれは変わらず、娘が生まれ母になっても変わりませんでした。

私はなるべく人前でスピーチをしなくてすむように、そういうお役目をなるべく避けながら生きていたのです。

もうこれは遺伝かなにかだろう。そう諦めていました。

 

それが、私が自分軸に覚醒し、世界を見る目が変わってから変わりました。

なんと、あがり症が治ったのです!!

今なにかスピーチを頼まれても驚くことに、あまり緊張せずすんなりできてしまいます。

なぜ治ったんだろう?

考えてみました。

私がおばさんになったから?

場数が増えたから?

単純に慣れた?

 

私が思うに自分軸になったからだと思うのです。

自分軸は他人の目を必要以上に気にしません。

ジャッジもしません。

世界を自分と他人と分けて考えず、ほとんどひとつと考えます。

競争しようとしません。他人の幸せは自分の幸せなのです。

この感覚でいると、緊張しようがないのです。

 

他人軸思考をしていた昔は、発表のときに

いい発表をしてみんなに認められたい!とか、

○○には負けたくない!とか、

できないやつと思われたくない、とか

他人の目を、ジャッジをとても気にしていました。

自分で自分を評価していたのもあります。

他人と自分を区別し、競争していました。

そんなことをしていたら、体が自動的に拒否反応を発動していたのかもしれません。

それがあがり症という症状として体に現れていたのです。

 

今は発表などのとき、誰かに伝えたいことをただ伝えようとするだけで、誰かによく思われようとか全く思わなくなりました。

そして他人が敵ではなく、自分と一緒の存在だと思うようになったのです。

そうしたらあがり症は治ったのです。

 

体は正直でした。

この世界にはない他人軸思考の洗脳を、体が不自然だと教えてくれていたのです。

 

あがり症が突然治ったことで、

私は今この人生で諦めていたことがいろいろとできることに気がつきました。

もともと人前は好きですし、しゃべることも好き。

あれもできる、これもできる!と今では夢が広がってきています。

 

コミュニティのありかた

私たちは普段生きている中で、さまざまなコミュニティに属しています。

家族というコミュニティ

学校・職場というコミュニティ

地域というコミュニティ

友達というコミュニティ

趣味仲間というコミュニティ

同窓生というコミュニティ

 

それぞれのコミュニティの中に自分の居場所を探し、役割を探し、見つかると安堵し、定着します。

見つからないと、そのコミュニティにいることが不安や不満を感じ、新たなコミュニティを探し、また居場所を探します。

幅広くコミュニティを広げている人もいれば、ほとんどコミュニティに属さない人もいます。

 

しかし私たちがコミュニティにイメージしていることで共通しているのは、どれもがピラミッド的であり、依存的であるということです。

コミュニティには必ずトップになる人がいて、その周りに取り巻きのような中心グループがいて、そしてその他の人がいます。

どのコミュニティもそのような組織作りになっています。

だから、自分がコミュニティに属するとき、そのコミュニティはピラミッド型であるという思い込みが私たちの頭に出来上がっています。

確かに今までの社会はとても他人軸思考であり、組織は他人に依存的なピラミッド型がほとんどです。

誰かトップの人に従い、方針に従い、波風を立てないようにすることが基本です。

しかしこれは他人軸思考のコミュニティの作り方なのです。

 

本来コミュニティというのは、自分軸思考で作られるべきです。

自分軸的コミュニティとは、一人一人が精神的に自立しており、リーダーではなく、各人の得意なことや好きなことで役割分担されている組織。

コミュニティ内は並列であり、序列はなく、新しい人にもウェルカムな雰囲気があります。

お互いに争わず、競わず、助け合える関係であり、誰かに依存していることもありません。

組織の目的といえば、誰かの役にたてること。利益や収益などは度外視です。

これからは、このような自分軸的コミュニティが社会に必要です。まだ、少ないですが少しずつ社会に登場するでしょう。

これから新しいコミュニティを作るのであれば、この意識は絶対に必要です。

そしてそのようなコミュニティしか生き残れないでしょう。

なぜなら、他人軸的コミュニティは、リーダーか収益などの利益に依存しており、それが失われたとにに自動的に消滅する運命だからです。

自分軸的コミュニティは、永続的に発展する可能性があり、消滅する事由がないのです。

 

自分軸的コミュニティが増えていけば、

家族が変わり、

学校・会社が変わり、

地域・社会が変わるでしょう。

そうやって、今後の未来は自分軸的に変わっていくのです。

そして、何度も言っていますが、これが世界で先駆けてできるのは日本人であると私は思っています。

古代日本を掘り下げる

最近の私のブームは、日本の古代史です。

一万年もの平和な時代と言われる縄文時代、世界最古の石器や象形文字、遺跡が発見されています。

どうやってそんな平和にそんな長い期間を過ごしていたのか?

また、そこから始まる世界最長王朝である天皇という制度。

これだけ世界中で王朝が入れ替わり、世界で戦争を繰り広げられてきている間、なぜ日本は王朝が最長なのか?

古代の卑弥呼がいたという邪馬台国が今でもどこにあったか謎なのかなぜなのか?

考えれば考えるほどロマンと謎に満ちているのです。

そしてそのときの古代人が私たち日本人の先祖であるということ。

つまりは私のルーツになっている。

こんなにウキウキしながら学べる分野はないのです。

私が学生の頃、学校で勉強したときはさらーっとしかやらなかった分野で、まだ謎も多いことを理由にそんなに掘り下げられることはありませんでした。

しかし、近年この古代日本が注目されています。

掘り下げたくなっているのは私だけではないはず。

その歴史が今の日本に古代からつながっているという事実。

世界の片隅の小国と思っていた日本が、じつは最古最長である可能性すらでてきています。

隠され表にでてきていない文献、古文書がたくさんあり、敗戦によりいったんリセットされた歴史が、今また表に現れてきているのを感じます。

歴史というのは勝者の歴史。

つねに、勝者によってねじ曲げられ、書き換えられているのが当たり前です。

だから、真実を今からなにか物質によって導くことは不可能に近いと思っています。

しかし、私たちのDNAや市民の暮らし、習慣は簡単には書き換えられないのです。

だから、なにが真実なのかは己の直感に従う自分軸が大切なのです。

そしてその直感により、日本の古代史が今から表にでてくると感じて掘り下げたくなっている私であります。

ご先祖様に感謝!