愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

自分軸的子育て

娘は今年小学6年生になりました。

入学した頃は、まさか世界がコロナ禍になって大変化するなんて全く思っていなかったし、振り返ればあっという間だけれど、いろいろあったなぁと思います。

小さくてなにもできなかった頃もつい最近に感じてしまい、まだまだ娘を子ども扱いしてしまう私です。

特に一人っ子なので、手をかけてしまうし、つい目が行き届きすぎてしまって口だしが多くなってしまうのも事実です。

世界が未知のパンデミックで右往左往する中、親はしっかりしなきゃ!や子どもを守れるのは親だけ!なんて気合いで自分軸子育てを奮闘してきた数年でした。

気づけば娘はもう11才。

娘を見ていると、まだ親に甘えたい部分、頼りたい部分はあるにせよ、精神的にはだいぶ自立願望が育ってきていると感じます。

自分がこうしたい!や親に言われたくない!ということも増えてきました。

自分軸を推してる私としては、喜ばししいこととは思いながらも、もう子育ては終わりなんだな~と寂しくもあるわけです。

そもそも、子育てという言葉がだいぶ他人軸的ですよね。

子どもは伸び伸びと成長していれば、自分らしく適切な具合に育つのであって、

もともと親の干渉なんて必要ないのですから。

親は子どもに無償の愛だけを注ぎ続けていればいいのです。

なにも育てる必要はなく、子ども自身にその力があるのです。

他人軸的子育てをしている人は多いと思います。子どものためとはいえ、レールをひいたり、期待をかけたり。

肝心の無償の愛を注ぐのを忘れていたり。

そもそも無償の愛というのは、他人軸思考の人には難しいというブログを以前書きました。

子どもに関してだけは、他人軸の人でも無償の愛を発揮できるのは母親の特徴だと思いますが、それでも自分軸の人よりは難しいでしょう。

どうしても、ジャッジしたり、他の子と比べたりしてしまうことが多いのです。

 

子どもは親の所有物ではありません。

子どもは生まれたときから、自分軸です。しっかりと自分があるのです。一人の人格として尊重することが大切です。

どんなに自分に似てても似てなくても、そんなことは関係ありません。

勉強できようが、運動ができようが、関係ありません。

子どもにはその子らしさがもともと備わっている。

それを自然なまま見守ればいいのです。

それが自分軸的子育てのような気がします。

 

10才を過ぎると見守っていた子どもが、もっと離れて活動するようになるのです。

親の目の届かない世界がどんどん広がっていく。

でも親は干渉しすぎず、見守ることが最善なのです。

 

頭ではわかっていても、私はつい他人軸思考をしてしまうときがあります。

子どもの失敗を恐れて先周りしてしまったり、手伝ってしまったり。

早く堂々と見守れる心の余裕をつけていかないといけませんね。

子どもを守るのはそろそろおしまい。

子ども自身の力を信じて、手を離すときがそろそろ来ていると感じます。