愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

ビビビの正体

昔から一目惚れのことをビビビといったり、出会った瞬間にこの人と結婚するとわかったとかいいますよね。

それはいったいなんなのか?っていう話しです。

 

フェロモンなんじゃないかとか、DNAが反応するとか、原因はいろいろいわれてます。

でもこのビビビって、恋愛に限った話しではないのです。

例えば、自分がウェディングドレスの試着にいったら、どのドレスも素敵なんだけど、ビビビとくるドレスに出会ったりします。

受験のために学校見学でいろいろまわっていたら、ふと私ここに通うわ、と思ったり。

初めてあった人なのに、この人とは長い付き合いの

友人になりそうと思ったり。

つまりビビビって直感のように恋愛に限らずくるんです。

第六感と言われたりもしますね。

それはなにかなぁと思っていたのですが、

私なりの考えは、これは「未来とつながっている」瞬間なのです。

 

未来って、今の私たちからしたらまだ起こっていない未来なんだから、まだ存在しないと思ってしまいますよね?

でも、じつは次元の高いところでは、未来は存在していると思うんです。

いくつものパターンで、無限に。

次元が高いという空間を想像するのは難しいです。直線だけの世界の人は平面を想像できないだろうし、平面だけの世界の人は立体を想像できないだろうし。

でも、立体からみると線や面はよく見える、立体に含まれているものですよね。

つまり、私たちより上の次元では、時間さえも凌駕した空間があるだろうということです。

私たちには普段感じないけれど。

知覚、認知できないけれど、未来はもうあるのです。

だから、ときどきその未来とつながるときにビビビと感じるのではないでしょうか。

なぜかわからないけど、この人と結婚すると思った。

このドレスを着ている自分が想像できる。

入学後の自分が思い浮かぶ。

まさに未来を感じているのだと思います。

そして、本来私たちはこの体を脱いだ魂の状態なら、高い次元空間で移動ができるのでしょう。

だから、魂だけは未来に通じることができる。

また無限の未来から、自分の望む未来へ移動することも魂なら可能なのです。

本当は人生のハンドルを握っているのは自分自身であり、すべて自分の選択です。

 

つまり魂が高次元の存在で、未来とつながっていることの確かな証拠が、ビビビなのです。

一部の霊能者や能力者に限った話しではありません。

私たち人類全員の同じです。

そしてその魂の解放のキーポイントになるのが、自分軸でいるということなのは間違いありません。

体・時間にとらわれず、今・魂にたち戻り、高い意識からこの世界を生きることができるようになるはずです。

未来を知っている、選んでいる、という自信と安心感が生まれるかもしれません。

 

集団意識の拡大

集団意識とはなにか。

それは自分ごとと感じられる世界の範囲ととらえています。

これは自分軸でとらえる世界ともいえます。

行動を誘導、洗脳するような集団圧力や常識のことを集団意識ととらえる人がいますがそれは全く違うものです。

集団圧力や常識は他人軸世界で使われる考え方です。

集団意識とは自分とつながるより広い範囲を自分ととらえる意識のことです。

その集団意識には、自分軸の人だけがつながることができるといえます。

他人軸がメインの世界では、集団意識というのはとても分断され狭い範囲のみ存在していました。

なのでそれぞれが自分ととらえる範囲も狭く、とても自己中心的になりやすく、また他の人の世界を理解できなかったり、他人事と感じることが多かったのです。

子どもを生み、初めて自分以外の人間の幸せを願うようになり、自分ごと範囲が広がったという人は多いかもしれません。まさに、自分ごと世界の拡大です。子どもと集団意識でつながった、ともいえます。

そのように家族単位では集団意識を共有していた人は今までもいたのです。

でも、核家族化で家族の単位も少なくなり、集団意識はどんどん分断され、変わりに常識や集団圧力などの他人軸的な集団の意識が芽生え、本来の集団意識に繋がらない人が増えていったと思われます。

 

しかし、ここ最近自分軸の人が増えてきているので、この集団意識につながる人が増えてきたのです。

そうすると、この集団意識は拡大をしてきました。

つまり、みんなの意識世界が合体しつつあり、自分ごとの範囲が広がってきているのです。

自分軸の人なら、もう感じていると思います。

他の人の幸せがうれしい、もしくは不幸が悲しい。自分のように愛せる人が増えたこと。

確かに自分のようにとらえる世界が広がってきています。

このような中では、戦争なぞ起こせるはずもありません。

その現地の人でさえ、自分ごとのように感じる人が増えれば必然的に反対の意見がでるからです。

戦争なんて、他人軸の世界でなければ起こせないのです。

昨今戦争が多くなってきたと感じる人もいるかもしれません。確かに、他人事世界で戦争を起こしたい勢力はいるようです。

でも、自分軸の集団意識の世界が今急速に地球上で広がってきています。

これは自分ととらえる範囲が広がっていることを指します。

だから、戦争は大きくはなかなかならないですよね。戦争は勃発しても自然消滅していきます。

 

集団意識は日本人の発揮する思いやりのもとになる意識だと思われます。

日本人はもともとこの意識をもっていた。戦後、いろいろな教育で他人軸思考にされた部分もありますが、今本来の日本人らしい集団意識に急速にもどりつつあります。

また世界にも影響して、世界では今までになく拡大してきているのです。

これは目に見えないものなので、実感が難しいかもしれませんが、私自身感覚的に感じています。

そして日本人はそれにとても需要な役割を果たしているとも。

世界に平和がくるのが近いかもしれません。

 

 

中秋の名月

少し前の話しですが、今年のお月見は9月29日でした。

今年もススキを飾り、おもちをいただきながらお月見をしてみました。

 

9月29日、これは旧暦の8月15日を指します。

旧暦というものを、あまり深掘りしてこなかったのですが、最近私は知ったのです。

旧暦とは月の満ち欠けをもとに作られている暦で、昔は旧暦が使われていたのだけは知っていました。

 

旧暦の15日というのはいつも満月で、

1日はいつも新月なのです。

15夜のお月様というのは、旧暦からくる歌だったよですね。

ではなぜ秋の15夜がお月見として風習が残っているのか、あまり深く考えたことがなかったのです。

でも、旧暦で8月15日ということは、お盆だったのかな、と思ったわけです。

今は新暦の8月15日前後にお盆休みがあり、ちょうど夏休みなので田舎へ帰りお墓参りなどをします。

お盆というのは、先祖が戻ってくると考えられている風習です。

そのような風習を旧暦の8月15日に行っていた名残がお月見なのかもしれません。

中秋の名月の近くには秋分の日があって、地軸の傾きと満月の方向が、銀河系の中心を向いているとも考えられます。

そういった宇宙的な配置が、先祖とつながりやすいことからこの時期にお盆として、先祖へのお供えをしていたのかもしれません。

ススキを飾るのは、稲穂を飾っていた名残かもしれません。

なぜ、おもちをピラミッド形に積むのか、

月にウサギがいておもちをついているのはなぜか、

このへんにもなにか理由がありそうです。

歴史は簡単に改竄できても、

私たちの風習、言語はなかなか改竄できないものです。

ひとつひとつの風習を、直感を働かせ堪能するとまた違った側面が見えてくるものです。

日本という世界最古の文明の風習には奥深いものを感じます。

なんにせよ、ご先祖様に感謝です。

元気はもらうものじゃない

よく元気をもらえました!とか、元気をあげたいと思います!とかいうセリフをききます。

元気がないとき、友達に悩みをきいてもらえたり、

好きなアイドルのライブにいったり、元気をもらえる行動をとろうとする人もいるかもしれません。

元気とは、本来もらうものなのでしょうか?

 

じつは、元気というのは、もらうものじゃなく、だすものなのです。

元気とは自分の中からだすのが普通なのです。

そんなこといったって、辛いことがあったり、どうにも自分では元気がでない、という人もいるかもしれません。

そういう人はそもそも、自分に元気をだせる力があるとは思っていない人がほとんどです。

これが、まさに他人軸思考の洗脳の結果ともいうべきものなのです。

元気を人から、他からもらおうとする習慣です。

元気を人からもらおうとすると、確かに元気にはなれるかもしれません。でも、その対象が自分にとって必要不可欠な存在となり、依存的になりやすいのです。

なぜなら、自分で元気をだせないわけだから、その対象が生きていく上で絶対必要だと思ってしまうのです。

その依存対象は、家族だったり、友達だったり、恋人だったり、アイドルだったりします。もしくは、ペット、ギャンブル、酒などだったりもします。

人々は元気がなくなったとき、各自のやり方でどこかから元気をもらう習慣をつけているのです。

これが他人軸の思考の習慣です。

 

その習慣があると、まさか自分自身に元気をだせる力があるとは思いもよりません。

しかし、本来はすべての人が自分を元気にする力をもっているのです。

元気とは自分の中から沸きだすものなのです。

そしてそれは自分軸思考の場合、半永久的に無限にだし続けられるといっていいと思います。

まさにフリーエネルギー、とも言えます。

どのように?

それは自分軸思考になればわかるのですが、まだ他人軸思考の人に説明するのはなかなか難しいです。

 

心の中に世界中を愛する源みたいものがあり、そこから感謝や愛を通して元気が涌き出てくるみたいな感じです。

元気をもらおうとしないで、まず自分で元気をだす感覚を感じてもらいたいと思います。

それが自分軸への一歩となると思います。

〈男子へ〉トランクスかふんどし推奨!

私の夫は昔からトランクス派なのです。

最近はボクサーパンツ派が圧倒的に多いのではないでしょうか?

なので、トランクスを買いたいと思ってもなかなか売っていないのです。

世の中の男性はそんなにボクサーパンツを履いているのかな?と思います。

うちは子どもが娘なので、年頃の男の子の動向がよくわからないのですが、なんとなくボクサーパンツが多い気がします。

私が子どもの頃はブリーフ派も結構いて、思春期からトランクスになってきて、高校ぐらいのときはそのトランクスを見せながら歩くという半パンスタイルが流行でした。

よく考えるとと変わったファッションですよね。

半分パンツを見せて歩くなんて。

女の子もヘソ出し、ルーズソックス、顔黒時代ですから、ファッションは飛び抜けてこそ目立てて意味があった時代でしたが。

よってその時代はトランクスが主流だったように思います。

 

その後いつからか、ボクサーパンツが主流になってきたのです。

夫いわく、ボクサーパンツは当時スポーツをするときに履くくらいの存在だったそうです。

スポーツするときは、ブラブラと睾丸がゆれずにまとまっているほうがよかったのでしょう。

それを日常的にもブラブラするのが気持ち悪いと感じる人が増えたのか、ファッション的に流行しているのかはわかりません。

とにかくトランクスが手に入りにくいのです。

売り場はボクサーパンツだらけ。

 

しかしなぜ睾丸がそもそも体の外にでてぶらさがっているかを考えたことはありますか?

女性の子宮は体の奥に大切に守られています。

なぜ睾丸は体の外に、しかも不安定にブラブラとぶらさがっているのか?

それは冷やすためなのです。

精子は暑いと弱まってしまうため、体の温度より冷ます必要があります。

なので体の外にでているのです。

暑いときはびよーんとのびて、寒いときはきゅっと縮まり体に近づく。

常に生殖にとっていい温度を保っているのです。なんて体は神秘的なのでしょう。

だから、男性の股関はあたためてはいけないのです。風通しのいいところで、常に冷やせるようにしておくことが大切です。

それをできるのが、トランクスやふんどしというわけです。

最近のボクサーパンツでは風通しがよくないのではないでしょうか?

暑くなりすぎてませんか?

 

最近は男性不妊も増えているとききます。

ボクサーパンツ、どうなのかなぁ?と少し心配なのです。

風通しよく保つため、ふんどしか、せめて大きめのトランクスを履くことを男性に推奨したいと思います。

〈自分軸〉見えなかったものが見えてくる

私たちは目で見た世界を解釈し、その世界で生きています。

目が見えれば、すべての世界をとらえられていると思っている人もいますが、

もちろんそれは大間違い。

私たち人間の目で見える範囲というのは、もちろん限界があるわけです。

目にはとらえられない光や波動も世界にはたくさん存在します。

また目に物理的に見えていても、解釈はその人それぞれ。つまり目で見えているものを、なにかを判断している主観が入っているのです。

その主観が、私たちは他人軸の洗脳によって大きく先導されています。なので世界を見るとき、それは誰かの洗脳によって得た解釈を経てとらえていることがほとんどなのです。

自分軸に目覚めると、見える物理的な世界はなにも変わらないのですが解釈が変わってくるので見える世界が変わってきます。

今まで不思議に思わなかった景色が不思議に感じたり、違和感を感じたり、作られた恐怖心から解放されたりします。

確かに同じ景色を見たことがあるのに、そのときには気がつかなかった違和感や、幸福感やパワーを感じることもあります。

「なぜ、こんなことに気がつかなかったのだろう?」

考えてみれば当然考えそうなことを

今まで考えなかったと気づいて不思議に思うのです。

 

まさに、同じ世界で生きていても生まれ変わったような感じで

今まで見逃してきた世界を、しっかり見たいという気持ちがでてきます。

 

思ったより最悪だということもあるし、

思ってたより素晴らしいということもある。

まさに世界のとらえ直しをしている感じです。

 

これがまさに世界は思考が作ると言われる所以なのでしょう。

他人軸のときと見える世界が全然違うのですから。

 

新しく世界を見るときには、直感を使うことが大切です。

誰かの解釈で判断していないか。

心地よいと感じるか、不快と感じるか、常識を当てはめて見ていないか、広い視野・思考でとらえられているか。

まさにそれが大切なのです。

新しく世界を見てみて。まっさらな自分の頭で。

ありのままをとらえてみよう!

今まで見えてなかったものが見えるはずです。

夏休み、総括。

主婦にとっては三食作りや、部屋のエンドレス片付けなど苦行ともいえる夏休みですが、

子どもにとっては普段できない体験や経験ができるチャンスであり、これ以上ない自由な時間であり、伸び伸びと過ごせる最高な期間です。

私もそんなに家事をガシガシやらず、子どもと一緒にのんびりと、また旅行などの伸び伸びな時間を過ごすことができました。

当たり前のことがありがたいと感じるようになった今、手袋&マスクなしのビュッフェや細かい注意書のない観光スポットにありがたい!としみじみ思いながら過ごすことができました。

何年かぶりに帰省した方や、久々の観光スポットを楽しまれた方も多いのではないでしょうか。

1年か2年前はどこに行ったのかも、大々的には言えず、お土産も買わずにひっそりと出掛けたものですが、大手をふって出掛けられて、子どもがお友達にお土産を買ったりできるのも、当たり前ではないと感じて嬉しい気持ちになっています。

観光地も大混雑、道は大渋滞ですが、みんなが家からでてきて楽しんでるんだと思うと、それさえも嬉しい気持ちになります。

予想通り、マスク人口は急激に減り、むしろ熱中症のほうが心配されるくらいでした。

たまに台風がきたりしましたが、概ね晴れで夏らしい夏休みでしたね!

 

夏休みの最後になると、学校に行きたくない子どもたちへ注意喚起のニュースが増えます。

行きたくないのはその子になんの責任もないのです。

行きたい内容、人間関係ではないのですから、それを無理に強制させる必要はありません。

学校が自由で楽しく、個性尊重される場であれば行きたい子どもも増えるでしょう。

今はとても画一的、統一的な教育となっているので、合わない子どもがいても当然なのです。

朝が強い子弱い子、集団が好きな子嫌いな子、勉強や運動が得意な子苦手な子、さまざまな子どもがいて当然なのです。

どうしたらその子が目をキラキラさせて楽しめるのか、100人100通りの教育現場が必要です。

それには、先生が導く先導型では無理があり、子どものやりたいこと得意なことを伸ばすサポート型に教育を切り替える必要があるでしょう。

今の子どもはやりたくないことを、我慢してやらされすぎです。どの子も同じような人間として教育するような誘導をされています。

子どもたちは「やりたくない!」と心で叫んでいるのです。コロナもあり、自由が尊重されるムードも増えてきて不登校が増えているのでしょう。

いろいろな個性に社会全体で理解を示し、思いやりや礼儀だけは教えてあげれば、

個人の興味・能力をもっと尊重してサポートに徹するべきだと思います。

教師の心の病や、労働過多も問題となっている昨今。

学校や教育のあり方自体を根本的に考え直すところにきています。

子どもたちが喜んで行く学校なら、夏休みの最後にこんなニュースばかりにはならないはずです。

夏休み楽しかった!

さぁ、学校でも楽しもう!

ってなりたいですよね。

 

今はまだ変革途中なのです。

どのくらいで変わるかなー。

変わらなきゃならないことは、もう国民もわかってきているはずです。