愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

死生感を考える。

今回のコロナで、人は死について多くの時間を考えたのではないでしょうか?
自分や家族の死を、より身近に感じたかもしれません。そもそも、死についてそんなに考えたことがあったでしょうか?
私は自分が6歳くらいのときに、突然自分が死ぬことがとても恐くなったことがあります。
自分の想像の中で、お婆さんになってベッドの上で孫に囲まれて死んでしまう、そしてその先は無。。
なにもなかったことになってしまう恐怖です。

このような死に対しての恐怖感をもっている人は多いのではないでしょうか。
死んだらおしまい。
生きていればいいことがある。
命より大事なものはない。

今回このような死生感をもっている人が、多くの恐怖心の中にいるのです。
とにかく死にたくないのです。

死をひたすら避けようとすると、大事なことを見失ってしまいます。

なんのために生きるか。
ということです。

どんなに避けようとしても、死は100%訪れます。
それであれば、どのように生きるかに注力すべきで、死にとらわれるべきではないのです。

また多くの人が、死んだらどうなってしまうのか?ということを不安に思っています。科学的に証明されたことが1つもないからです。
しかし確かなことは、今生きているということです。

大切なことは、死を恐れることより
なにをして死ぬか。
ではないですか?

今私は、死というのは通過点でしかないと思っています。魂は永続的であり、この体はその一部でしかないと感じています。また死への恐怖もなくなりました。

でも今の人間関係、自然、目に見えるものは、生きている今しか感じられないものかもしれません。
それなら、今を楽しむ。それが大切です。

死を恐れて今を見失ってはいけません。
今の私にできること。
楽しめること。
やりたいこと。
誰かのためになれること。
それを見つけて行動することが大切です。

最近7歳になった娘が死ぬのが恐いといいだしました。ちょうど、私が恐がった歳と同じ時期だな、と思いました。
私は娘に伝えました。
「死んだらおわりじゃないよ。それより、今を楽しもうとしてごらん。」