愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

期待は依存のはじまり

期待っていい言葉に感じますよね。
友達に、親に、周囲に期待されるということは誇らしいし、嬉しい感じがします。
しかしこの期待というのは、私が思うに、とても注意が必要な言葉であり感情であると気がつきました。

期待とは、他人軸の代表のような言葉です。
期待してウキウキする。
期待されて頑張ろうと思う。
このどちらも軸が自分ではなく、誰か他の人や物であることに気づくでしょうか?
そう、自分ではない何かに、自分の気持ちの上下を委ねる行為、それが「期待」なのです。

自分ではないなにかに、気分をあげてもらえればこんなに嬉しいことはないですね。
でも上げてもらえなければ、ガッカリすることになります。
どちらにしても、自分ではないなにかにハンドルを譲り渡す行為であり、結果は自分ではコントロールできないのです。
でも今までの傾向や好き嫌いから、自分の気持ちが上がりやすいものに期待することになると思います。
期待されているほうは、自分の人生のハンドルだけでなく、期待している人のハンドルにも責任が伴います。自分だけのハンドルなら多少失敗しても落ち込まずにすみますが、期待されている人のハンドルは失敗できないと思うわけです。
だから、期待されるほうはハンドルを動かすのがとても重く感じるのです。

期待して気持ちが上がるというのを繰り返すと、それはもう期待せずにはいられるなくなります。
これを依存といいます。
依存はそれがないといられない状態。その人や物に完全に乗っかってる状態をいいます。
ここまでくれば、それは他人軸であると、誰もがわかると思うのです。
でも期待は応援の意味でもあるし、自分軸の人もついしがちな感情です。
しかし、期待は依存のはじまり。
とても注意が必要なのです。

誰かに期待してませんか?
なにかに期待していませんか?
その期待のあとに、自分の気持ちが上がることを想像してハンドルを明け渡していませんか?
その期待先のものでなければ、気持ちは上がらないでしょうか?自分でハンドルをもって、そこへ到達する方法はないでしょうか?
誰でも自分でハンドルをもてば、自分が行きたい気持ちの場所へいけるのです。
行けないと思っているのなら、それは思い込みです。
まず、期待をするという感情に注意して自分は他人軸になってないか?見つめてみるのもおすすめです。