愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

「女性が輝く社会へ」の嘘

何度かブログで書いているのですが、女性に対しての誤解と洗脳がこの社会に蔓延っています。
その代表的なのが、この「女性が輝く社会」というキャッチフレーズ。
男女平等、女性の社会進出を後押しするこのいかにも良さそうな言葉が、多くの女性を洗脳していることに最近気づいたわけです。
女性も社会で活躍できる!社会で後押ししよう!というわけです。
女性である私としては、なんて素晴らしい考えなのだろうと、若いときはすっかり騙されていたわけですが。

真実は、、、
女性はもともと、輝いているんですよ!
この言葉に騙されて、社会で活躍しないと、輝いていないと勘違いしてしまう女性が増えました。
私も輝かないと!同級生もあんなに輝いている、私も頑張らないと!
こういった思考に陥り、頑張って社会で活躍しようとするのです。
頑張ること自体は悪いことではないのですが、問題はもともと輝いていない、という洗脳です。
女性はそのままではだめ、地位が低い、虐げられている。頑張らないと輝けない。今までの女性は輝いていなかった、だからこれからは輝こう!と。
考えてみると、ひどい洗脳ですね。

先日のブログでも書いたのですが、女性には神秘の力が宿っています。周りの人の精神を回復させる力があるのです。それは笑顔でいるだけで発揮されます。
女性がサービス業に向いているのは恐らくそのためでしょう。
男女差別ではありません。これは能力別の事実です。
男性にも、女性にできない力がたくさん備わっているように。
女性には癒しの力があるのです。
だから、女性はもともと輝いているのですよ。
ここは重要なことです。
社会に活躍しないと、輝けないと勘違いしている女性に特に伝えたいです。

女性はまず、生まれたときから輝いている、と。
その上で、もっと人を癒したい!と思うとき、社会にでてもっと大勢の人を癒してもいいでしょう。
ただ社会は女性1人ででると、ツラいことや苦しいことが多く、そのストレスに女性は弱いのです。
だから、笑顔でいるということができなくなってしまっては本末転倒です。
自分が笑顔でいられる範囲で、社会にでることが重要であると思います。
そして男性は、女性から癒しを得て元気になることができる変わりに女性を守ってほしいのです。
ここが役割分担だと思います。
平等、平等、で男と女が同じ舞台に立たせようとしたり、ジェンダーで男と女の違いをなくそうとしたり、
社会でこういった動きがあります。
それには、それぞれ輝ける舞台を取り上げられてしまっていることになります。
特に、この女性の特性は気づかれず隠されて洗脳されてしまっていますが、これからの時代にとても重要なことです。
多くの女性が目覚めますように!

46億年のうち7千年

自分軸に目覚めてから、世界を見渡してみると、
なぜこんなことに気づかなかったのか?とか、
なぜこんなことを信じてしまっていたのか?という事実に次々と出会っていきます。
私が学んだ多くの、学問、常識、歴史、そういったもののがどんどんメッキをはがし、真実を気づかせてくれます。
他人軸のときに学んだ(学ばされた)分野のほとんどを、
もう一度見直さなければならず、世界の捉え方が180度変わっていく自分がいます。
なにせ今まで生きてきたほとんどの知識を、もう一度自分軸で見つめ直さなければならず、その作業は本当にたいへんです。

しかし同時にワクワクもします。忘れかけていた好奇心が疼くかんじで毎日新しいことを学びたくて時間が足りないくらいです。
といっても、この世界に真実の資料や証拠を見つけるのはほとんど不可能です。
それができていたら、そもそも私は誤った知識を学んだりはしてなかったのです。
だから、頼りは自分だけ。自分の直感に従うという方法しかありません。
それでももう一度見つめ直すということが大切です。

私が子どもの頃に疑問に思った世界の成り立ち。
子どもの頃は純粋に疑問に思っていたのに、いつのまにか疑問にさえ思わなくなってしまっていました。
でも、また今見つめ直すと子どもの頃に感じた疑問が再度沸き上がってくるのです。

地球の46億年の歴史。
46億年というのも、本当かはわかりません。
恐竜でさえ、1億年ほどの昔なのだから、とてつもない昔に地球はできたということになっています。
そして、初めて文字という文明ができたのが、約7000年前だというのです。
46億年あって、文明をもてるほどの進化を1度もせず、たった1度だけ今回7000年前に文字をもつ文明がこの地球に誕生したというのです。
しかも、その文明は今のところ宇宙では一つかもしれないということになっていました。
どう考えてもおかしいですよね。
なぜそんなことに気づかなかったのか。
なぜ私たちが急に急激に発展したのか。
それまでは文明が発展しなかった要因はなにか?
猿は進化したのに、今の猿は進化する様子はない。
恐竜は何億年も生きたのに、なぜ文明をもたなかった?
奇跡といえばそれまでです。
もちろん奇跡はあります。
でもこれは奇跡ではなく、単なる不自然。
なにかが隠されていると考えるほうがしっくりくるのです。
なにが隠されているのか?
それはこれからわかるかもしれません。事実が外にでてくるかもしれません。

私たちは宇宙の成り立ち、地球の歴史、人類の誕生の経緯など、この世界の根本的なところを
捉え直す必要があると感じています。
そして、この自分軸の覚醒の波で、同じように感じている人が増えてきているというのも感じます。

自分軸で世界を直感的に捉え直そう!

女性のもつ神秘的な力

これは私の考察なので、証拠もなにもないのですが、
女性には特別な力があるような気がしています。
それは子どもを生むという生物的なものではなく、
その場の波動を上げたり、調整する力です。

昔から日本では巫女といった祓いや予知、霊力を司る地位を女性が務めていたり、縄文時代土偶がなぜか女性を型どったものばかりといったこともあります。
確かに女性は勘が鋭く、嘘をすぐに見抜いたり、人の考えていることがわかったりする人が多いのは誰もが感じることではないでしょうか?
そして、女性の笑顔。
女性の笑顔にはなんともいえない、元気になるパワーが含まれているといわれて納得しない人もいないでしょう。
女性には、なんらかの精神的霊的な力が強くでているのではないでしょうか?
そして、それは家庭に直結します。
女性は家庭で、家事をこなしたり、料理を作ったり、さまざまなことをしている人がいると思いますが、
これらの仕事は実際誰がやってもいいのです。
女性が最も重要なことは、家庭で笑顔でいることです。
女性が笑顔でいると、その周囲の人は元気になります。
子どもも夫も。充電ができるのです。
だから女性は家庭で充電的な役割をしているのです。
それを気づいている人が少ないような気がします。男女平等参画がこの重要な点から目をそらさせているように感じます。
女性が社会で輝く、といういかにも素敵なフレーズで、家庭の充電的な役割から外そうとしているのです。
その結果、今まで充電できていた夫や子どもは家庭で充電ができなくなってきています。
外で嫌なことがあったり、つらいことがあっても、家庭に帰り妻や母が笑顔でいてくれれば、本当であれば充電できるのです。
そして、その神秘の力をもつ女性は、勘が鋭いため、社会にでるととても疲れます。敏感すぎて、いろいろキャッチしてしまい疲弊してしまうのです。
だから女性は家庭の中で守られていました。
このストレスに強いのが、じつは男性であるのです。
男性は女性であればめげてしまうような悲惨な状況や、争いに耐えられるようにできています。
家庭にいる女性を守るため、男性はその強さを発揮して社会で闘っていたのです。
それがいつのまにか、女性を閉じ込めている、とか、
男性ばかり待遇がいい、とかというねじまがった理解が浸透していってしまいました。
男性は女性を守るため、自ら辛い役割を引き受けてくれていたというのに。

こういった考えは、古いとか遅れていると感じる人が多いでしょう。
しかも多様性ばかりが昨今は叫ばれていますから、
女性はこう、男性はこう、とかいう価値観は
論じることさえもタブーとなってきているのです。

私も自分が女性として、家庭より仕事のほうが向いてるのでは?と思ったり、男性に頼らず生きていかなくては!と意気込んでいたのでそういった意見もわかります。
でもそれは、女性に生まれ、まさかそんなに特別な力をもって生まれたとは夢にも思わず、
ずっと女性は虐げられてきたという思い込みを刷り込まれていたからです。

今ならわかります。
女性の神秘の力と、それを守ってくださっていた先祖の男性のたくましさを。
これからは精神時代。
女性の気づきがキーポイントにもなってくると感じています。

どこもかしこも混雑の休日

この一年以上変わらず過ごしている我が家ですが、
この一年コロナのせいもあり、休日も渋滞知らず、どこに行っても空いていて快適にレジャーを楽しんでいたのですが、ここ最近はどこもかしこも混雑ですね。
ここぞとばかりに遊びにでているのでしょうか?
ストレスの限界でしょうか?
去年のGoTo並みかそれ以上の人手を感じますね。
コロナに対しての恐怖もどこへいったのか、
もう煩わしいものとなってきているのを感じます。
マスクはしているものの、
プラスチックの板は邪魔そうにしている人も多い。
ワクチンの話しは全くでなくなってきています。
マスクとって歩いていても、全然注目されない、気づかれない。
いちおう付き合ってはいるけれど、仕方なく、体裁で、という空気を感じます。
こんなに人手がでても、陽性者が増えないのは、もう今までの感染対策が的外れだった証ともとれます。
人手が多すぎて、なかなかレジャーに出掛けられなくなってしまって、少しコロナ禍が懐かしいくらいです。
でも世界から恐怖が少なくなってきているのは喜ばしいことです。
テレビを盲信せず、自分で情報を収集し、自分軸で考えて生きる人が増えていることも影響していると思います。
まだまだ目覚めていく人は増えていく予感です。

家庭の空洞化

最近とても気になることがあります。
女性の社会進出で、父親も育児参加を!保育園を!と叫んできてそれが徐々に実現しつつあるのはいいのですが、
これは私たちにとってほんとにいいことでしょうか?
今起きていること、それは家庭の空洞化です。

専業主婦というのは、やりがいを感じにくい、孤独、肩身がせまい、経済的にきつい、などデメリットばかりが注目されてしまっていますが、
やはり家庭の中心的役割としてとても重要な役割を担っていたように思います。
それは祖母や母を思い返してもそう思いますし、
世の中の専業主婦の方を見ても強く思います。

しかし今家庭には中心的な役割を担う人がいなく、
分業化で、かつ育児もアウトソーシングといった状況。
家庭を中心にしている人が家庭にいないのです。
つまり家庭という単位が、空洞化により崩壊しようとしています。
共働き、分業、イクメン、女性の社会進出、
どれも理想的な未来の家庭像のようにとらえられています。
しかし、空洞化している家庭を家庭といえるのか?
個々が重要になり、家庭の意味がなくなってしまうのでは?
でも子どもには家庭が絶対に必要です。
栄養とスペースがあれば、子どもが育つのではないのです。
家庭という中にある暖かい波動で子どもはすくすく育ちます。
この家庭をおざなりにしている社会に私は疑問をもっています。
社会を成長させたいなら、家庭を大切にしなければなりません。
家庭を社会が大切にする環境が必要です。
それは保育園を増やすことでも、女性を外で働かせることでもないのではないでしょうか?
家庭の中で女性が孤独にならないよう、家庭と家庭のつながりも大切です。
東京という都会では、このつながりはどんどんなくなっています。
煩わしいと感じる人も多いのです。
女性は社会にでて、孤独を埋めているので、他の家庭とつながる必要がないと思っています。
また、他人と比べる他人軸。この考え方の人は、なるべく比べられないようにつながりたくないのです。

この家庭がおざなりになっている状況。
私は社会が間違った方向にすすんでいるような気がして、少し不安です。

でもコロナ禍で人々は半ば半強制的に家庭に閉じ込められました。
急に閉じ込められて、ギスギスしたり息苦しかった人もいると思います。
でも、ある意味気づいたこともあるでしょう。
家庭がいかに大切であるか。
家庭をおざなりにしていたこと。
これから、これをきっかけに社会が、人々が考えていくきっかけにはなったと思います。
そういう意味でも、コロナは人々を目覚めさせるきっかけになったといえます。

社会がどう変わっていくかは、私たち次第です。

障害こそ魂の求めるもの

人生は障害ばかりでしょうか?
順風満帆でしょうか?
一度切りの人生なら波風なく平和に生きていきたいものです。
誰もがそう思います。
でも今回のコロナ騒動で、誰しも障害を感じたかもしれません。むしろ自由になった人もいるかもしれません。
ただ多くの人は今までにない経験をしたことでしょう。
これを障害ととらえるかは人それぞれですが、
障害について考えてみました。

人はゲームをしようとするとき、
ワクワクしたり、ドキドキしたりします。
まるで魂が喜んでいるかんじ。
あの感覚はなんだろう?と考えてみました。
ゲームというのは、わざわざルールを作って難しくして、頭や体を使わないと攻略できない仕掛をして、
競わなくていい相手と競うものです。
勝ったら賞金か、罰ゲームがあればなお燃えます。
なぜ、そんなことをわざわざしたいと思うのか?
つまり、人は自分で障害を作って乗り越えられるかを試す前ワクワクするのです。
なぜか?
人は本気をだしたいのです。
本気をだすには、障害が必要なのです。
そして本気をだすと、魂が成長するのです。
だから、成長したくて、魂は障害を前にするとワクワクするのです。
そうやって、ゲームやスポーツは親しまれています。

でも人生の障害は?
喜ぶ人はなかなかいないでしょう。
せっかく平和に生きていたのに、事故にあったり病気になったりしたら嫌にきまっています。
でも魂レベルではその障害によって本気をだせるかもしれません。
本気をだせば成長できるチャンスかもしれません。
多くの人が、このことを忘れています。
障害こそ、本気をだすチャンスなのです。
魂の成長のチャンスなのです。
からしたら、待ってました!かもしれません。
そう思うと、どんな障害も怖くはなくなります。

障害に出会ったら、
それは不運でもなく、
本気をだすタイミングなんだと思うことができれば、
すべてのことに感謝です。

最近本気になることないなぁ。と思いながら書いてます。
これから世の中がどうなろうと自分軸で
心は平穏ですが、
この世の中の激動の中で、どんな障害に出合うかそれはわかりません。
ですが、どんな障害も本気になればなんとかなると思えてきます。

科学が最大の洗脳

ほとんどの人が世界の成り立ちをイメージするとき、それは科学の知識をもとにしています。
地球は自転しているとか、
太陽のまわりをまわっているとか、
粒子でできていて、陽子電子があるとか、
光は最も早いスピードで届くとか。
一般的な教養レベルでもだいたいこのくらいは誰もが認識しているかと思います。
すべてにおいて科学はベースになっています。
工業、医療、経済。
私たちは科学をベースに世界を認識し、生きているのです。

でもこの科学が壮大な洗脳だとしたら??

あっという間に、私たちの常識は非常識になります。
まさに世界がひっくり返るでしょう。
私たちは教育で科学を学びますが、自分の感覚で科学が正しいと感じているわけではありません。
それが当然、と思いこんでいるのです。

科学は進んできて、世界は4%の物質とそれ以外でできているといわれてきています。
これも本当かはわかりませんが、
私たちが科学で認識しているのはこの4%の物質についての部分であって、それ以外の謎の部分については謎のままということになっています。

つまり、この世は90%科学では証明できない世界なのに、
私たちは科学を基準に生きてしまっているのです。

科学で物質部分について突き詰めていくと、物質はとても小さい量子でできていることになっていますが、
この量子は粒のようでもあり波のようでもあり、
そこにあるようであり、ないようである。
という結論になっています。
あるようであり、ないようである?
それは観測者によるというのです。
それはどういうことでしょう?

物質はすべて、そこにあるようであり、ないようである。
それは観測者による、ということになります。

これこそが私は本質であると感じています。
科学というのは、
そこに変わらない現実があるように思わせる壮大な洗脳であるのです。
真実は
世界は、あなたによって変わるということです。

世界の4%の物質だけでもそうなのであれば、
その他の世界の9割についても、観測者によって変わると考えるほうが普通です。

世界はあなた次第なのです!

こうして、自分軸になると
世界の成り立ちがだんだんと見えてくるからおもしろいのです。

自分軸で自分の世界は自分で作ろう!