愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

家庭の空洞化

最近とても気になることがあります。
女性の社会進出で、父親も育児参加を!保育園を!と叫んできてそれが徐々に実現しつつあるのはいいのですが、
これは私たちにとってほんとにいいことでしょうか?
今起きていること、それは家庭の空洞化です。

専業主婦というのは、やりがいを感じにくい、孤独、肩身がせまい、経済的にきつい、などデメリットばかりが注目されてしまっていますが、
やはり家庭の中心的役割としてとても重要な役割を担っていたように思います。
それは祖母や母を思い返してもそう思いますし、
世の中の専業主婦の方を見ても強く思います。

しかし今家庭には中心的な役割を担う人がいなく、
分業化で、かつ育児もアウトソーシングといった状況。
家庭を中心にしている人が家庭にいないのです。
つまり家庭という単位が、空洞化により崩壊しようとしています。
共働き、分業、イクメン、女性の社会進出、
どれも理想的な未来の家庭像のようにとらえられています。
しかし、空洞化している家庭を家庭といえるのか?
個々が重要になり、家庭の意味がなくなってしまうのでは?
でも子どもには家庭が絶対に必要です。
栄養とスペースがあれば、子どもが育つのではないのです。
家庭という中にある暖かい波動で子どもはすくすく育ちます。
この家庭をおざなりにしている社会に私は疑問をもっています。
社会を成長させたいなら、家庭を大切にしなければなりません。
家庭を社会が大切にする環境が必要です。
それは保育園を増やすことでも、女性を外で働かせることでもないのではないでしょうか?
家庭の中で女性が孤独にならないよう、家庭と家庭のつながりも大切です。
東京という都会では、このつながりはどんどんなくなっています。
煩わしいと感じる人も多いのです。
女性は社会にでて、孤独を埋めているので、他の家庭とつながる必要がないと思っています。
また、他人と比べる他人軸。この考え方の人は、なるべく比べられないようにつながりたくないのです。

この家庭がおざなりになっている状況。
私は社会が間違った方向にすすんでいるような気がして、少し不安です。

でもコロナ禍で人々は半ば半強制的に家庭に閉じ込められました。
急に閉じ込められて、ギスギスしたり息苦しかった人もいると思います。
でも、ある意味気づいたこともあるでしょう。
家庭がいかに大切であるか。
家庭をおざなりにしていたこと。
これから、これをきっかけに社会が、人々が考えていくきっかけにはなったと思います。
そういう意味でも、コロナは人々を目覚めさせるきっかけになったといえます。

社会がどう変わっていくかは、私たち次第です。