愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

安倍総理辞任による今後の日本

安倍総理が突然に辞意表明。
ポスト安倍をめぐって、ワイドショーは政治色一色になり、今まで連日取り扱っていたコロナは、一瞬でテレビから消え去りました。
あれだけ連日コロナだけを扱っていたのに、
誰もがコロナを消し去れないと思ったのに、
一夜にしてテレビからコロナを消し去った安倍総理
テレビから消えれば、コロナは実際なくなったも同然なのです。
安倍総理の功績は、最長在任期間という安定の政局をもたらしただけでなく、外交、経済、評価は多岐にわたりますが、
一主婦としては、一瞬でコロナを消し去った最後に、最後で最高の功績を感じております。
おつかれさまでした。

安倍総理といえば、肝いりの公約が拉致問題解決、と憲法改正
多くの保守層は、安倍総理でなければ憲法改正は実現しないと思っていただけに、今失意の思いかもしれません。
私は最近まで憲法改正を必要だと感じてきた1人でありました。
戦争反対の気持ちから戦争放棄憲法のままがいいと思っていた若い頃から、
子どもが生まれて国と子どもを守る重要性に気付き、憲法改正の必要性をだんだんと感じてきていたのでした。

しかし、このコロナ禍で私の気持ちはまた変わっていったのです。
確かに国を守るには軍や武器が必要で、抑止力をもって戦争を抑止しなくてはいけないのかもしれません。いつまでもアメリカの庇護をあてにしているわけにはいきません。日本国として自立する必要があり、それには憲法改正も必要なのかもしれないと。

しかし今回、緊急事態宣言下で、日本は罰則や強制力をもたずに、要請だけでコロナ禍を乗り切りました。私はこの経験から思ったことがあるんです。
強制力や抑止力は、人をコントロールしやすくするが、人を幸せにはしないと。
日本に強制力がないことを、心から素晴らしいと思いました。
日本がこのまま憲法改正をせず、アメリカの庇護がなくなれば、それこそ丸腰と思われても仕方がない状況です。
武器をもっている敵がうじゃうじゃいる中に、丸腰で立っていること、こんなに怖いことはないと感じるかもしれません。
でも、丸腰だからこそ伝わるメッセージがあるのでは?日本にしかできない平和の導き方があるのでは?と最近感じてきております。

安倍総理が成し遂げられなかった憲法改正
それは、成し遂げる必要がなかったということなのかもしれません。

若い頃に憲法改正を反対してたときは、もっと怠惰な理由でした。戦争なんてしたくない、徴兵制とかあったらめんどくさい、憲法のおかげで世界が戦争しても安心だ。結局自分が楽をしたかっただけ。

子どもが生まれると世界感も変わります。子どものためなら喜んで犠牲になるでしょう。
でも、戦争をしないために軍や武器をもって抑止力を働かせるというのが本当に平和につながるのか?疑問に感じ始めました。
抑止力、それは人をコントロールするということ。
もっと人を信じる方法があるのでは?
だんだんとそんな思いになっています。