愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

コロナ禍1年での変化

3月になりました。
去年の今頃を思いだし、ちょうどコロナ騒動も1年たったのだなぁと思いました。
ちょうど一年前に急に学校だけ休校になることになり、世の中のお母さんたちはテンヤワンヤでした。
コロナもそのころから、他人事ではなく自分事になり恐怖心が伝染していったのを思い出します。
私もこの1年でたいぶいろいろなことを感じました。
さらっと書き記しておこうと思います。

去年の2月頃、まだ日本ではそんなに感染が広がってないと認識されていた頃、私はこのコロナを人工発生の可能性と化学兵器である可能性に勘づいていたため、一番警戒していた時期でした。
イタリア、ニューヨークの惨状や、日本もこうなるという煽り、安倍総理の会見、まだテレビを見ていた頃です。
政府もまだ人工とは確定していないからいえないのではないかと思い、自己努力で感染対策をしていました。

しかし、急な3月になり学校の休校は参りました。
子どもたちのエネルギーは有り余っています。どうやって家で過ごせというのでしょうか。
習い事も軒並み中止になり、子どもはいくところがなかったのを思い出します。
その3月中旬頃、BCGや死亡率の低さ、日本人の感染者の異常な少なさがわかってきて、「なにかがおかしい」と思うようになります。
警戒がなくなっていく一方で、マスコミ、都知事の恐怖の煽りはますますエスカレートし、オリンピック延期の決定を受けて、緊急事態宣言へとなだれ込みました。

その頃の私は、マスコミ依存から脱却し、自分軸の大切さに目覚めはじめていたので、政府の緊急事態宣言は本当にショックでした。
子どもも4月から学校にいける!と思っていたのに、出鼻をくじかれ、夫の仕事さえもなくなりそうな勢い。
世の中の経済が完全に止まりそうになっていましたが、私には全く無駄なことと感じたのです。

周りの人はマスコミにあおられ、恐怖心の真っ只中。高齢の父母はこの世の終わりのような態度でした。
人と人が助け合い支えあっていかないといけないときに、ソーシャルディスタンスとかいう造語で人々を分断させ、余計にテレビの前に座らせる。
私はこの頃から、テレビを全く見なくなりました。

自分を見失ってはいけないと、緊急事態中から自分軸の意識で生活をはじめ、覚醒していったと思います。

そしてそれを書き留めようということで始めたのがこのブログです。

思えば本当成長したなぁと感じます。生活スタイル、考え方、政府に対しての見方、子どもへの教育、すべてに影響があったと感じます。
周りもあの頃に比べるとだいぶ私と同じ見解の人が増えてきました。

そういう意味ではコロナのおかげで大きく覚醒し、成長できたということで
波乱の一年ではあったけど、今振り返ると感謝しかないですね。