愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

生まれながらに義務も権利もない

私たちは洗脳の中で常識と思っていることがたくさんあります。
でも覚醒し、自分軸で世界を見渡すと常識のほとんどが罠であり誤りであることに気づくことができます。

今日書きたいのは、義務と権利について。
私たちは生きる上でなんらかの義務と権利があると思い込んでいます。
義務に関しては、憲法という人間が勝手に作ったルールの中にも堂々と書かれていて、
日本においては
就労、納税、教育、の三大義務があると書かれていています。
そして基本的人権の尊重。
これは権利があるということを表しています。
この憲法という法制度のど真ん中に義務と権利があることが堂々と書かれているわけです。
これこそが、大きな洗脳です。

私たちには本当に義務や権利があるのでしょうか?
ほとんどの人が当たり前だと答えるでしょう。
でも覚醒してみてから考えてみると、
私たちは生まれながらに、なんの義務も権利もないことがわかります。
ないものを、ある、と洗脳しているのです。

なんの義務もないのだったら、
なんの権利もないのだったら、
社会がめちゃくちゃになると思いますか?

私たちは義務だから
就労するのでしょうか?
納税するのでしょうか?
教育をするのでしょうか?

義務でなくても、したければするのです。
義務というのは強制ということです。
一見責任ある言葉のようですが、義務というのは強制です。
強制したいことを、義務といっているのです。
強制というと抵抗されそうですが、義務というとすんなり受け入れてしまうのです。
これが洗脳なのです。
でも、私たちはじつは自分軸であれば、誰かの幸せのために自らすすんで就労・納税・教育をするのです。
強制される必要もなくです。
義務というのは他人軸の世界の言葉なのです。

権利というのは、そうあるべき状態ということです。
私たちには生まれながら、あるべき状態というのはありません。
生きていることが自然であり、必然であり、当たり前であり、奇跡であり、素晴らしいことです。
しかしこれは権利ではありません。
私たちには生きる権利があるのではなく、生きているのです。それが自然なことです。

私たちには、義務はなく、権利で生きているわけでもなく、誰かの幸せのためにしたいことをしていいのです。誰かを幸せにするために率先してやっていいのです。自由です。

世の中に今義務と権利が溢れています。
気づきましょう。
それは他人軸の世界の言葉です。
誰かによってあなたの行動を強制させることができないし、誰かに許されて生きてるわけではありません。

あなたになにかの義務を負わせることはできないし、
そもそも義務なんて本当は存在しません。
なにか権利を押し付けられようとしても、権利は実際には存在しません。自然な状態があるだけです。
あなたがあなたであるだけでいいのです。
目を覚まそう。