愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

悪への対応のしかた

悪とか善という二元論に陥ってはないけないと以前のブログでも書いたのですが、

今日はあえて悪の対応のしかたを書きたいです。

 

そもそも悪や善というのは愛という球体の光の当たってる部分と当たってない部分のような感じで、

もともとは同じものだし、どこから光を当てるかによって見え方が違うだけなのです。

だから、悪とか善にこだわって正義感からジャッジをするなんてナンセンスです。

だって、境界線なんてもともとない同じものなのです。

 

今回私が悪と呼ぶのは、

他人を支配・コントロールしてこようとするものについて限定したいと思います。

つまり他人軸を生み出している根元を悪と呼ぼうと思います。

この悪に、長年多くの市民がコントロールされ、奴隷化されてきている歴史があります。

この地球上ではどの国もその悪が蔓延っているといえるでしょう。

私たちの先祖は、この悪に立ち向かった歴史もありました。しかし結果的に悪は蔓延り、私たちは支配コントロールされています。

他人軸世界は、もう完成を迎えようとしていました。

私たちは争い、

お互いを比べ監視し、

気をつかい、

勝とうとし、

人の目を気にしながら生きています。

 

一見平和そうにはしてますが、

他人軸の世界で捕らえられているようなものです。

ほとんどの人が他人軸に洗脳され、これが普通だと思っています。

でも一部の人が、徐々に自分軸に目覚めてきて、他人軸世界のおかしさに気づいてきました。

その数もどんどん増えていると思います。

他人軸の世界から、自分軸の世界が生まれようとしているのです。

 

赤ちゃんとして生まれたときは誰もが自分軸だということを考えると、いかに今の洗脳が強いかということがわかります。

先祖は洗脳がまだ弱く荒い時代、他人軸世界の構築に必死に抵抗していました。

その結果が、戦争であり、学生運動であり、デモであり、ヤンキーなのです。

しかし歴史からわかると思いますが、抵抗したものは迫害され、吊し上げられ、見せものにされて、洗脳を強化することに利用されたのです。

抵抗者は排除され、洗脳者だけが気持ちよく生きられるようになりました。そうして、市民たちは牙を抜かれ抵抗する気もなくし、ただ支配されるしかなくなっていったのです。

 

この歴史から学べることは、悪に対して自分軸の私たちは対応を間違ってはいけないということです。

対立したり、戦っては悪はなくならないのです。

なんなら、強化されるだけです。

自分軸の私たちは、自分軸のスタンスを平和的に貫けばいいのです。

やさしく悪に接すればいいのです。

拒否したり、排除しようとしても無駄なのです。

悪はなくなりません。

共存というと語弊があるかもしれませんが、悪を認めて否定せず、そして私は平和に自分軸でいる。

それが悪の対応のしかたになります。

先祖たちが教えてくれています。

今こそ平和な自分軸の波動で、世界を包み込むときなのです。