愛をもって中今を生きる。

平凡な主婦が自分軸に目覚めた軌跡

ジェンダーについて

ジェンダーという言葉。

男らしいとか女らしいとかを禁句にしたり、

男女の区別をなくしていくような価値観。

私は嫌いです。

 

個性は尊重したい。

十人十色でいい。

女でも男でもその人の好きなことをやればいい。

 

ただ、男女は同じではない。

平等や個性という言葉に着飾れて、ジェンダーという言葉は闊歩しています。

性同一性障害や、同性愛の人々をマイノリティの人として守ろうとするのもジェンダー

確かにLGBTなどの人はこの社会システムで生きづらさを感じるかもしれません。

マイノリティであるといわれる彼らを尊重し守ることは大事なことでもあるでしょう。

そのような善意の気持ちが利用されているのが、ジェンダーなのです。

 

女性の立場を守ろう!

LGBTを守ろう!

誰もが平等に!

 

なんて善意の、素敵な価値観に聞こえるでしょう。

みんながみんな幸せになりそうなフレーズです。

 

しかし、このジェンダーがどうもおかしいと私は思っています。

 

男女平等、必要でしたか?

現実に、男は女になれないし、女は男になれません。

女の強み、男の強み、それぞれ違うのです。

違っていいのです。

競争する必要もない。ライバルでもない。

女性は虐げられてきたのでしょうか?

そう思い込んでいるだけではないですか?

 

ジェンダーというのはプロパガンダです。

思い込みや洗脳です。

男と女を区別することは全く悪いことではないのです。

自然界を見てください。

動物や昆虫もみんなオスとメスを区別しています。体の作りも明らかに違ったりもします。

不平等でしょうか?

それが自然なのです。

 

LGBTを差別するつもりも、全くありません。

個性を尊重したいのです。

いろんな人がいていい。隠れる必要もありません。

堂々としていてほしいのです。

 

ただ男と女は区別します。

男と女のペアで子どもができ、女は子どもを生み育てます。

女は体に育児の機能が備わっている。

でも漁や力仕事は男のほうが得意なことが多い。だから、分担してるんです。

 

子どもは未来への希望です。

ジェンダーの価値観は少子化を促し、人類が不自然へと変貌するためのプロパガンダなのです。

 

注意が必要です。