最近LGBTが話題じゃないですか?
女子トイレをなくすとか、同性婚とか。
前からここにも書いているのですが、私ジェンダーの考え方って少しだけ違う方向に誘導されている罠だと思っています。
男女平等、みたいに
個性を尊重!みたいな綺麗なテーマのように扱っているんですが、
これは思考の操作であると思っています。
性ってなんでしょう?
まずは体の違いです。
オシベやメシベのような生物的な違いです。
そして性自認。自分が男と思うか、女と思うか。
そして性志向。男が好きか女が好きか。
つまり、これだけ分かれていると考えられているわけです。
そしてそれはたくさんのパターンがあり、個人差もあり、だからジェンダーって決めつけはよくないよねっていう流れになりつつあります。
自分をどう認識するか、誰が好きは自由でいいと思います。
ただ、私たちの中のノーマルを忘れてはいけません。
男の遺伝子と女の遺伝子を交ぜて、次の世代を生むということ。
これがどノーマルであり、生物の遺伝子にも組み込まれている先祖代々のつながりの証です。
それを軽視してはいけません。
なぜなら、それで私たちは存在しているからです。
それがなければ、存在していません。こんなに何世代も続いていません。
それが近年、そのジェンダーが交ざってきてよくわからないようにされてきています。
世界の真理を忘れさせようとしているかのように。
これはなぜでしょうか?
人工が増えすぎたからでしょうか?
環境が悪くなったからでしょうか?
平和だからでしょうか?
差別がなくなったからでしょうか?
本当の原因はわかりません。
だだ、性があやふやになってきているのは事実です。
それには社会的理由もあると私は思っています。
性とは昔からきっぱりと2通りに分けられていたものではないのです。
もともと性はグラデーションなのです。
体だけがきっぱりと分かれてはいるのですが、それだってもしかしたら変動可能の機能が備わっているかもしれません。
メスだけになったら、メスからオスになる蛙がいるそうです。
なのでもともと性というのは、グラデーションなのです。
だから、わざわざLGBTとかQとかいろいろな名前をつけて区別する必要がないように思います。
それをわざわざ区分するからわけわからないことになっているわけです。グラデーションを区分できるわけはないのです。
男が好きでも女が好きでも、男っぽくても女っぽくてもいい。
でも生物的な機能を使って子孫を残す場合は、私の場合は女の機能を使える女です。というだけなのです。
子どもを作る場合は、その機能を使う必要があるから、男と女がペアになる。それだけの話しです。
私は女で、性志向は男が好きですが、全部の男が好きなわけではありません。だから、自分が好きなタイプの男を選んで子どもを作るわけです。
でも私が学生時代に女子校に通っていたとき、女の先輩にときめいたこともあります。
だから、好きになる人は男だからというわけではないのです。女を好きになることもあるかもしれないし、生活をするのは女がいいと思うこともあるかもしれません。
見た目も女の子っぽい格好が好きな女の子、ボーイッシュな格好が好きな女の子、いろいろいます。
それが当たり前です。
もし、生物的な異性と子どもを作りたいと思えば作ればいいし、タイプがいなければ作らなければいい。好きなのは男でも女でもいいでしょう。
だから、性とはなにか。
結局生物的に男なのか、女なのかというだけの話しで、それ以外は個性なのです。
そしてどの性に生まれてもグラデーションであるという前提で、自分を認めることが大切なのです。
今、性をあやふやにして、
なんでも平等にしようとしています。
平等とはいい言葉のようですが、すべての人にとっていいことはありません。
大事なのは、尊重です。
平等ではなく、尊重が大切です。
男がいて、女がいて、子孫が繁栄する。
この当たり前のことを忘れてはいけません。
これが動かない真実です。
その上で、個性を尊重した世界を作りましょう。
すべての人が孤独ではなく平穏に過ごすことができますように。